シウダ・デル・エステ 〜パラグアイ国境の繁華街〜
前回まではブエノス・アイレスを彷徨した話でした。ブエノス・アイレスを離れるのは寂しいですが、イグアスの滝をみるため、ここからはずっと北上していきます〜
ブエノス・アイレスからバス一本でイグアスに直行することも可能ですが、イグアスのほんの手前、パラグアイにあるシウダ・デル・エステという街に少し寄りました。ブラジルとパラグアイの国境に接する街です。せっかくだからパラグアイの空気も味わってみたいです。
ブエノス・アイレスのバスターミナルでパラグアイ方面のバス会社を探し、出発前日にチケットを購入。約4,000円くらい。夜の出発で、移動時間は20時間程度です。
出発前のターミナルからの景色が良かった
翌朝起きると、今までと違う景色。パラグアイの国境に近付いているようです。空気はむわっとしていて、かなり蒸し暑い
バス休憩中。バス会社はわかりやすすぎる名前だったためチョイスしました
イミグレーション。バスの添乗員さんが親切で、乗客をまとめてリードしてくれました。そのため国境越えは今回なんにも問題なし。
そして午後にシウダ・デル・エステのバスターミナルに到着。ブエノス・アイレスではダウンジャケットを羽織っていたのに、ここではTシャツ一枚でも汗が止まりませんでした。完全に熱帯ですね、ジャングルの中みたいな気候。重い荷物を背負って、市街地までは徒歩で移動しました。ついでにターミナルで両替を済ませておきました。
シウダ・デル・エステの繁華街はそんなに広くはありませんが、隣国のブラジルやアルゼンチンから、人々が物価の安いこの地域に色々な製品を求めてくるみたいですね。それなりに賑わっていました。シウダ・デル・エステはスペイン語で「東の街」という意味で、その名の通り首都アスンシオンに次ぐ東部に位置したパラグアイ第2の都市という感じですね。闇マーケットやショッピングモールが広がり、電化製品や衣類などさまざまな製品が売られていました。
こちらはショッピングモール。さまざまなブランドショップが並んでいる正規のマーケット。ただそんなに安くはないですし、魅力は薄いです。
こちらから闇マーケットの香りがプンプン。といってもそんなに怪しげではないです。アジアやアフリカによくあるマーケットと同じ雰囲気がします。
100円ショップみたいな店。100円切っていますね。安い!ちなみにどの店も日暮れ前の早い時刻に全部閉まってしまいます。
露店の食事。肉が固いから、プラのフォークが折れて手掴みになってしまった。アルゼンチンに比べると食事も宿もクオリティは落ちますが、ブラジル国境にあるためかそこまで安くはないです。宿の部屋にはゴキブリがたくさんいました。
ニュートーキョーという日本食のレストラン。スーパーマーケットの2階にあります。店員さんの対応は親切でしたが、他の客はいませんでした。
煮込みうどん。副菜の酢の物が美味しかった。日本食の再現率高し
夜は店が軒並み閉まっており、カジノの明かりだけが煌々と灯っていました
今回は一泊二日間だけの滞在で、次はプエルト・イグアスに向けて小移動です。近隣に大きなダムがあるらしいですが、イグアスの滝をこれから見るのでダムはまあいいかな、と出発。
もちろん、出国管理局にまず寄る必要があります。場所は「友情の橋」の手前にあります。スタンプはすぐに押してくれました。プエルト・イグアス行きのバスはどこか職員の方に聞いたところ、すぐ前をバスが通るから手を挙げて乗せてもらいなさい、とのこと。システマティックでなく人間的で、そういうの好きです。待つこと30分、暑さと排気ガスと売り子たちのしつこさでへばりそうになりながら、目当てのバスになんとか乗車できました。
入国管理局で止まってくれますので、そこで降車。さっと申請を済ませて外に出ると、ラッキーなことに運転手が一服中でギリギリバスに再乗車できました。通常は待ってくれないそうなので、バスを乗り換える必要があるようです。
そしてプエルト・イグアスに到着。所要1時間足らず。宿はわりとたくさんあり、良い感じのアパートを借りました。広くて豪華なのに、一泊2,000円程度。
次回は最終目的地のイグアスの滝に行ってきます!世界一とも言われる大瀑布をこの目で見る機会はそんなにありません。楽しみ。
ではまた
ブエノス・アイレス ④ パレルモ・レコレータ地区 〜 ハイソな文化地区でしたよ〜
前回はボカ地区に行った話でした。今回はブエノス・アイレス篇の最終回です。洒落た街並みのパレルモ地区&レコレータ地区へ行ってきたお話を致します。
パレルモ地区は作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが生まれ育ち、好んで作品の舞台に設定していたエリアですね。知らない方に説明すると、ボルヘスはアルゼンチンを代表するというよりは世界的な大作家です。彼が愛したこのエリアにも当時ならず者がたくさんいたようですが、今では長閑で公園が多く、アパレルショップや洒落たブックストアが立ち並ぶようなファッショナブルシティーです。レコレータ地区も同じく高級ブティックや高層マンションが立ち並ぶ、ハイソなエリアですね。国立美術館や著名人が埋葬されているレコレータ墓地もあり、観光客が多く訪れます。
まずはレコレータ墓地へお出かけしました。墓地とはいえ観光スポットのため、周辺含めワイワイガヤガヤしていました。1番人気はエビータことエヴァ・ペロン元大統領夫人の墓でした。あとは人影まばら。
一等地に位置する墓場なので、墓を維持するため費用が高くつくのでしょうか。中には荒廃している墓もありました。
レコレータ地区の国立美術館はあえてスルーし、国立装飾美術館のみ訪ねました。アンティークショップやネルーダの家で豪奢な装飾品等を見て、南米の富裕層が好んだそれらの品々に興味を持ちました。ブエノス・アイレスでは後ほど紹介する予定のラテンアメリカ芸術美術館をはじめ、いくつか美術館を訪ねていますから、まあもういいかな‥というのも正直ありました。
装飾美術館の入り口。併設のカフェは賑わっており、店内も良い感じ。
展示品や内装はなかなか興味深く、当時の富裕層の暮らしが伺い知れます。今はもうこんな豪奢な暮らしを誰もしていないでしょうが、古い物を愛する精神は今もブエノス・アイレスっ子に受け継がれていますね。
こちらは同じくレコレータ地区の国立図書館です。市民でないと入れません、たぶん。私はアホなのでうまいこと入りこんでしまいましたが、出るときに怒られましたよ。皆さまそこは気をつけましょう。
ハンマーヘッドみたいな建築物。
当時はアルベール・カミュに関する展示が行われていました。カミュはアルゼンチン滞在経験があるみたいですね。サンテグジュペリといい、アルゼンチンとフランスはなにか結びつきがあったりしたのかしら。また、写真の女性はオカンポさん。カミュを呼び寄せたり、アルゼンチンの文壇をまとめあげたりと、かなりやり手の編集者だったみたいです。
たまたま見つけた面白い建築物。落ちそう〜
そして、隣のパレルモ地区に移動。腹が減ったので、ランチですね。今回はお洒落なカフェ、B-BLUEで。
ランチセット。ニョッキとレモネード、デザートに鉄観音茶まで!さすがアンティークの国。普通ドリンクは別料金の場合が多いですが、ここはランチセットに含まれています。
窓の外の眺め。今でもなんとなく覚えている光景。
パレルモ地区の奥まったあたりの通り。ここらへんは東京の代官山に似たような雰囲気。
パレルモ地区の奥まったエリアから駅の方へ戻ると、あたり一帯高層マンションや公園が広がっています。
ここらでの1番人気は、やはり先程ちらっと言及しましたラテンアメリカ芸術美術館でしょう。
私が訪問した時期には、レアンドロ・エルリッヒの企画展が行われていました。日本でも有名なブエノス・アイレス生まれのアーティスト。森美術館でも企画展をしていましたね。金沢21世紀美術館では、常設展示を楽しむことができます。
有名なプールのインスタレーション
最初のエレベーターからかましてくれます。
ゴーストな教室のやつ
いないのにいる美容室なやつ
本国でもエルリッヒは大人気で、みんなカシャカシャ写真を撮りまくっていましたね。
常設展も充実していました。
コロンビアの人気画家ボテロの作品。人物がボテボテしているのが特徴的だね
メキシコの画家ディエゴ・リベラの作品
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個性的な作品群、とても楽しめました。なんとなくラテンアメリカ的な作風をふんわり掴んだ気がします。それは、とにかくエネルギッシでエロティック、かつ過剰であることではないでしょうか。
公園地区にはスペイン人記念碑やガリレオ・ガリレイプラネタリウムなどが点在していました。あいにく訪ねた日は強風で寒く、人はほとんどいませんでしたが。
この公園地帯からコスタネーラ大通り沿いへ抜けられます。
コスタネーラ大通りを歩いていると、ラ・プラタ川を眺められる場所に出られます。大通りは地球の歩き方でも紹介されているので、散歩しに行く人も多いでしょう。ただひとつ気をつけなければいけないのは、コスタネーラ大通りを歩いてレティーロ地区まで移動しようとすると、通行止めを迂回しようとしたりなんかして進んでいくと、最後はバスターミナル裏のスラム地区につながってしまうことです。私は、まあまんまと入り込んでしまいました。建物がボロボロなのはもちろん、たむろしている人々の雰囲気も他と違うような印象でした。写真なんかは1枚も撮れません、怖くて。それでもなんとか大通りに戻れ、歩道のない道で車がぶんぶん走る横を歩き続け事なきを得ました。
夜、パレルモ地区でライブ鑑賞に行きました。Alternativa teatralというライブハウスで、わりと前衛的な音楽を楽しめます。ライブハウスにはカフェが併設されていて、そちらでもライブを行っています。音響などはライブハウスの方が良いと思いますが、カフェのライブは酒やつまみを楽しみながら演奏を聴けるのがポイント。私はカフェのライブを楽しみました。
瓶ビールは1ℓ!でかい
聴いたのは、バンドネオンとピアノのデュオによる、現代タンゴの演奏。とても楽しめたし、チケット代は約400円とかなり安かったです。観光客向けでなく、地元の人たちが楽しんでいたような感じで、それが良かった。ここで注意ポイントふたつめです。ブエノス・アイレスの地下鉄は終電が早く、23時過ぎには閉まってしまいます。そのため、私はここから約2時間かけてサン・テルモの宿まで帰るハメに。
まとめ
今回私はブエノス・アイレスに10日間滞在しました。昔懐かしのヒッピーの溜まり場でもなく、大都会であるブエノス・アイレス。なのに、旅の途中でこんなに長く過ごすことができたのは新鮮でした。ブエノス・アイレスは最高でした。また来ます。
次回はアルゼンチンからパラグアイを目指します。その後はついに、今回の旅の最終目的地イグアスです。
¡Hasta luego!
ブエノス・アイレス ③ ボカ地区 〜 あのマラドーナがいたよ〜
前回はブエノス・アイレス市街地の南側、庶民的ながら観光地としても見どころの多いサン・テルモ地区に行った話でした。ブエノス・アイレスを訪れる目的は人それぞれだと思いますが、どのガイドブックにも書いてあるような名所だけでは物足りないよ、もっと街のことを知りたいよというような願望をお持ちの方には、サン・テルモに泊まりながら遊び尽くすのが大オススメです。カフェやレストラン、市場やレコード屋など、普段の一般市民の暮らしに近い生活、又は文化を追うことができると思います。加えて、単なる観光資源としてのタンゴではなく、レコード屋で盤を並べたり、小さなライブ会場で現代風タンゴを演奏したりと、きちんと音楽として愛好している感じが良かったです。
さて、今回はサン・テルモよりさらに南側、ボカ地区へ行ってきました!また地球の歩き方の文章を引用しますが、ボカ地区について、とても刺激的な記述がありました。
「(ボカ・ジュニアーズ・スタジアム博物館への行き方について) カミニートから3ブロックだが、昼間でも強盗に遭う可能性があるので、タクシーやコレクティーボに乗ったほうがいい」
どんだけ治安悪いんでしょう。たった3ブロック、おそらく5分とかからない距離を移動するだけなのに、乗り物を利用するようアドバイスするなんて!夜間ならばまだしも。これはなかなか尋常ではありません。正直私もこれを読んで腰が引けてしまいました。パタゴニアの宿で朝食を共にしたフランス人の兄さんが、ボカ地区に宿をとったとき夜7時以降は外出しなかったと言っていたのを思い出したりもしました。が、しかし、カミニートと呼ばれるリアチュエロ川近くの小径は建物がカラフルに彩られらなんか楽しげな雰囲気ですし、行かないとたぶん後悔するでしょう。まあ、現実的にガイドブックに載っている観光名所だからどうしても行けないような場所ではないだろう、という思考回路に無理矢理切り替え、ここは単独で行くことにしました。「ボカ地区に行きたいけれど、治安が悪いみたいだから不安!」という方は私の経験が参考になると思います。
とりあえずボカ地区に行くにあたり以下の方法をとりました。
①荷物は最低限。サイフの中身はその日使う分+カツアゲされたときのチップ代、SUBEという交通ICカードのみ
②10時〜16時の間しか当該地区で行動しない
③サン・テルモの私の宿からカミニートまで徒歩20分くらい。バスはよくわかんない&タクシーを使いたくない(ケチだから)という理由により、消去法で徒歩移動を選択。ただし、絶対に大通りしか歩かない
以上3つの鉄則を守れば、南米をぐるぐるまわってきた自分ならば、危険を回避できるだろうという自信もありました。
サン・テルモのレサーマ公園を突っ切ってAlmte Brown大通りに出た後は、ひたすら同じ道をずーっと歩きました。関係ありませんが、ブエノス・アイレスには人名が通りの名前として使われる事が多いですね。Borges通りを見つけた時は嬉しいようなどうでも良いような妙な気分になりました。蛇足ですが。別の通りにゴーストタワーなるものが建っているのを発見しましたが、もちろん道を逸れるわけにはいかないのでスルー。
何がゴーストなんでしょう?
そのまま20分以上歩き続け、無事リアチュエロ川に行き当たりました。
船は見当たらず。今は港湾施設として機能していないのでしょうか
ここまでの移動について。大通り沿いは絶えず人影があるため、怖さをほとんど感じませんでした。荒んだ雰囲気もなかったですが、たまに団地のような共同住宅が見えたときには少し緊張しましたね。バスもタクシーも使わず(使えず)にボカ地区に行きたい!という方は、大通り沿いを歩く作戦が良いかと思います。そして、移動は昼間にしましょう。
リアチュエロ川まで来れば人もたくさんいますし、スリさえ気をつければ安全。リアチュエロ川やそこで働く人々をモチーフに作品を描き続けたキンケラ・マルティンの像もありました。カミニートのカラフルな建築物をデザインし、まちづくりを行なった貢献者でもあります。
リアチュエロ川対岸。向こう側へは渡らない方が良さそうですが、どんななのかは知りたいです。誰か取材してきてくれないかな?
川沿いから小径(カミニート)に入れば、カラフルな街並み。レストランやお土産屋が並んでいます。
2階のバルコニーには、蝋人形?みたいなやつら
土産屋の前で眠る猫
見せつけるように店の前で肉を焼いていました。アルゼンチン人は本当に肉が好きですね。これは「アサード」といわれる炭火焼きで、じっくり時間をかけて旨味を引き出すのが特長
ボカ地区はタンゴ発祥の地といわれています。真偽のほどは定かでない
ここでもアートな品々を路上販売していました
ボカ地区には、キンケラ・マルティン美術館とフンダシオン・プロアと現代アート美術館があります。私はキンケラ・マルティン美術館のみ訪れました。入館は無料でした。
キンケラ・マルティンの絵画。港湾労働者の光景を描いています
夫の死を嘆く妻。病気か事故でしょうか?伝染病や港湾の現場事故で亡くなった人は多かったのでしょう。これはキンケラ・マルティンが描いたものではありませんが、作者は覚えていません
こちらは船首像の展示。ブエノス・アイレスの船乗りにとっては大事な要素だったよう
なんとなくアルゼンチンっぽい絵画たち。サッカーと肉が好きなんやね
そうこうするうちに夕暮れが迫ってきてしまいました。美術館でパンフレットなどのお土産を買い、ボカを後にします。帰りは歩くのがしんどいのでバス。バス停はリアチュエロ川に沿った目立つ通りにあります。バスに乗るにはSUBEが必要なため、注意してください。行き先は特に決めていませんでしたが、適当に「5月広場行き」に乗り込みました。これからもう2、3軒まわりたいと思います。ではまた
Hasta luego〜
ブエノス・アイレス ② サン・テルモ地区 〜憂愁のタンゴシティー〜
前回は、ブエノス・アイレスの中心地区を巡り歩きました。今回は、その南側の地区、下町のサン・テルモに行ったときのことを書きます。
「地球の歩き方」にあるサン・テルモ地区の説明が秀逸でした。「ノスタルジックなムードが漂うエリア(中略) 1870年に黄熱病が町を襲い、市街地に住む裕福な人々はレコレータ地区に移ったが、この地域に住む人々にはその余裕がなかった。人々はうっぷんばらしに酒を飲み、歌を歌い、そして踊った。アルゼンチンのタンゴはそんな苦悩のなかから生まれたのである」。ここにあるとおり、サン・テルモは下町というか裏町というか、市井の人々の哀愁や熱気みたいなものが渦巻くエネルギッシュなエリアですね。当時感染症に苦しんでいたのに、うっぷんばらしに酒を飲んでいたというのが良いですよね。しかも、歌って踊っているし。
サン・テルモの名物といえば、ドレーゴ広場で毎週日曜日に行われる骨董品市が有名ですね。実際は広場からずっとはみ出して、周囲100mくらいまでの街路や公園でも露店が立ち並んでいました。週末は全体が華やかなお祭りムードに包まれています。ちなみに規模は小さいですが、土曜日も露店がちらほら出始めていて、前夜祭としてなかなか楽しめます。旅行滞在時は日曜1日では満喫しきれないので、土日2日間とも楽しむのがオススメです。
ドレーゴ広場で行われていたタンゴダンスのパフォーマンス
広場だけでなく、その周囲の街路にまで
市は広がっています。「南米のパリ」と称されるだけあって、絵画や金銀のアンティーク品、アクセサリーや古書、雑貨などを売る露店が立ち並び、古くて文化的な雰囲気がたまらない。土産物屋で売っているような大量生産品を売る店は少なく、オリジナリティのあるハンドメイド品が多かったです。
露店ではありませんが、絵画や紙物、アンティークなどを並べた店舗もたくさんありました
ガード下の薄暗い場所にも古本が並びます!
ドレーゴ広場から5月広場へとつながる路地にも、ご覧のとおり露店がびっしりでした。度重なる大恐慌によって、アルゼンチンの人々はきつい貧困を何度も経験しました。いざというときに国や企業は信用できないということを経験から知っているため、彼らは自分たちで必要な物を作り、国や企業に依存せずに生きていくための習慣を身につけています。そのため一般の人々もわりとなんでも作っちゃう傾向があり、こんなふうに露店をバーっと出せるくらいに出店者が集まるのかなと思います。
下の写真はサン・テルモの南側にある大きなレサーマ公園です。こちらでも週末は出店がありました。ここは古着が多かった印象です。ノスタルジックなメリーゴーランドがあるのも楽しい。
屋台で食べた「チョリパン」と呼ばれるデッカいソーセージを挟んだホットドッグです。肉肉しく、パンも硬いため、食べ応えバツグンです。
レサーマ公園から通りを挟んだ場所には、ロシア教会があります。カトリックがほとんどの南米には珍しいですね。雰囲気はカトリックとかなり違い、外装が玉ねぎ型のドームだったり、内側の絵画もロシア的というか、大地の匂いがするようなものでした。訪れた時はたまたまタイミングが良く、ロシア正教の聖歌のようなものを歌っている最中でした。スペイン語ではなかったので、たぶんロシア語かな?
ドレーゴ広場の近くには、常設の大きな市場があります。バルやカフェなどの飲食店がたくさん並んでいて、肉屋や古本屋、アンティークショップなども雑多な感じで並んでいます。一日中いられるくらい、バリエーションに富んでいました。
市場内の古本屋さん。とても良い雰囲気
紙物も充実
これは市場のタコス屋さん。パタゴニアビールをドラフトで飲めるのが嬉しい
この地域はレトロなカフェや、タンゴショーを楽しめるタンゲリアというカフェも数多く点在します。文化的なエリアです。下町でありながら、東京の中央線沿いみたいなサブカル臭も漂っていました。
レトロでビッグなカフェ
こちらは映画学校。右側のカラフルなおじさんは、映画を題材にした作品を数多く残したマヌエル・プイグがモデルです。
ブエノス・アイレスを代表するタンゲリアEL VIEJO ALMACEN
こちらはウォン・カーウォイ監督作品「ブエノス・アイレス」にも出てきたタンゲリア
宿泊先もタンゴにゆかりがありました。その名もCarlos Gardelホテルです。安宿ではありますが、清潔で親切な対応でした。食堂の壁にはCarlos Gardelの写真がたくさん。イタリア人移民の若者が、タンゴ歌手としてコミュニティからのし上がってきたのだな、というストーリーが写真から見えました。
サン・テルモには現代美術博物館という、現代アート寄りな施設があります。館内はわりと広くて見応えがありました。水曜日は無料!
下町だなんて言っていますが、街並みや建築物はヨーロッパの古い都市のように美しかったです。建築物は高さが揃っていて、計画的に街づくりを進めていたのがわかります。古い物を大事にするこういう文化は羨ましいですね。
最後に、こちらはサン・テルモ地区で泊まった2箇所目のアパートの1室からの眺めです。
高層建築群の向こう側には古い港湾の街、ボカ地区が広がっています。治安が悪いと良く言われるエリアですが、次回はそちらに行ってみたいと思います。
ではまた
ブエノスアイレス ① レティーロ、サン・ニコラス、モン・セラート地区 〜南米のパリジャン〜
前回はアルゼンチンのカピージャ・デル・モンテを訪れた話でした。オカルトチックなパワースポットを巡り、スピリチュアルな雰囲気を堪能できました。書いていてよくわからないですが、わからない感じがとても良い町でした。
さあ、いよいよ南米を代表する大都市、ブエノス・アイレスに移動です。むしろ、南米でブエノス・アイレスに比肩する都市は果たしてないのではなかろうか、という感じです。リマでは少し役者不足な気がするし。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロやサンパウロは行ったことないですが、どうでしょうか。やはり、独自の文化性や歴史性、街並みの美しさなどを総合すると、ブエノス・アイレスにはかなわないのではないかなと私は勝手に思います。
カピージャ・デル・モンテから、夜発のバス(カミオン)でブエノス・アイレスへ出発。乗り換えなし、コルドバ経由で早朝の着予定です。
目的地に到着する直前に目覚めると、なんだか外の景色や行き交う人々が、想像していたより少しいかつい印象を受けました。アルゼンチンペソ安で景気が悪く、若干治安も悪化しているのでは、と少し心配に。バスターミナルから見える街並みもすこぶる荒々しい。後で知ったのですが、バスターミナル周辺はスラム街でした。ちなみに、後日私はここに迷い込んでしまう事になります。
バスターミナルがあるのは、レティーロ地区。ブエノス・アイレスは48の地区からなっていて、私が今回訪れた地区は以下の8地区。ガイドブックに載っているのも主にこの8地区です。
①レティーロ地区‥大きな鉄道駅やバスターミナルがある。交通の要。スラム注意。
②サン・ニコラス地区‥眠らない街。繁華街。映画通りやコロン劇場がある。
③モン・セラート地区‥大統領府のある5月広場、大聖堂など、歴史ある建物が並ぶ観光の中心地。
④プエルト・マデーロ地区‥新しく開発された港。再開発地区。日本のお台場みたい。
⑤サン・テルモ地区‥ノスタルジックな石畳の街。カフェや市場、古本屋やレコード屋などがあり、飲み歩きもしやすい。タンゲリーアもあり、日曜は蚤の市が開かれる。私の最もお気に入り。
⑥ボカ地区‥古くからの港町。タンゴ発祥の地といわれている。労働者がたむろしていたこともあり、リアチュエロ川の南側は今でもバラックなスラム街。
⑦パレルモ地区‥ハイソなショッピング街や、パレルモ公園など。代官山と上野両方の要素を合わせた感じ。ライブハウスなども多い。
⑧レコレータ地区‥こちらも高級な街並み。国立美術館や大使館、国立図書館などが立ち並ぶ。レコレータ墓地の人気ナンバーワンはエビータ。
とまあ、かなり簡単な説明ですが、以上のような感じです。
ターミナルを出て南下すると、すぐレティーロ鉄道駅があります。駅舎がゴシックな感じで、日本でも公開された映画、「瞳の奥の秘密」のロケ地でもありました。
他に見所として、アルゼンチン空軍広場があります。イギリスから独立100周年を記念して寄贈されたというタワーが建っています。しかし、フォークランド紛争の際にはイギリス軍から逆に標的にされ、大部分が破壊されたようです。贈ったものを壊すなんて、皮肉ですね。
そしてビルの向こうに広がるのはサン・マルティン広場です。この写真ではよくわかりませんが。まあビジネス街ですね、ここらへんは。
初日はサン・ニコラス地区に宿をとっていたため、レティーロ駅から地下鉄で移動しました。
部屋はこんな感じ。まずはこちらを拠点に、街歩きを開始しました。初日の目的地は、「美しい書店」として有名なエル・アテネオです!ついでに中古レコード屋にも何軒か行くつもり。
宿泊地の外の街路。人気のない裏道ですが、すでにそこはかとなくオシャレな雰囲気が漂っています。南米の他の街とは少し違っていて、ヨーロッパみたいな街並みです。
歩いてエル・アテネオに到着〜。
入り口。内装以外はいたって普通の本屋でした
劇場をそのまま本屋さんとして利用。舞台部分がカフェになっています。
まさに豪華絢爛です
アルゼンチンの有名作家マヌエル・プイグの本。未邦訳の作品も
同地区のもう一つの観光の目玉、コロン劇場にも行きました。あのエビータも足繁く通ったとかそうでもないとか。
近くを通るときは、わざわざ寄り道して何度も眺めに行きました。館内はツアー待ちの観光客で溢れていましたが、私はなんとなく参加しませんでした。特に理由はありません。
サン・ニコラス地区、というかブエノス・アイレスで1番有名な通りが、おそらくコリエンテス大通りでしょう。「眠らない通り」と呼ばれ、ナイトクラブや映画館などが建ち並ぶ歓楽街ですね。かといってこちらは1人なので、寄るべきはレコード屋くらいでした。
早速、MONO FONTANAなど音響派のCDを購入しました。店員さんはフランクで、日本のよりは親切かな。
ここらへんはかなり繁華街。7月9日通りは世界一広い通りだそう。そこに立つオベリスコは、ブエノス・アイレスのシンボル的存在です。
地球の歩き方にも情報が載っていますが、ガレリア・グメエスというショッピングセンターの6階に、サンテックスことサンテグジュペリが住んでいた部屋があります。私はトチってしまったのですが、部屋の中も見学できるらしい!20世紀前半に南米航路を開拓していた、当時のフランス人作家の生活が垣間見えるはずです。
モンセラート地区に関しては、大統領府や大聖堂などを訪ねたものの、南米の他の国を訪ねた身としてはあんまり新鮮味を感じませんでした。国会議事堂もまた然り。1番楽しかったのは、ブエノス・アイレスで最も人気で、市内最古のカフェといわれているカフェ・トルトーニでのひと時です。
店の前には常に行列ができていました。席数が多く、みんなそんなに長居しないため、回転は早かったです。
オリジナルグッズ。ちょっと欲しかった
派手な内装だけれど、レトロな感じでむしろ落ち着きます。メニューの値段は少し高いけれど、雰囲気を味わうだけでもその価値は十分あると感じました。
甘ーいお菓子。アルゼンチン名物のドゥルセ・デ・レチェを使っています。
カフェ・トルトーニの常連だった世界的作家のボルヘス。年配の給仕さんが「俺がボルヘスに給仕してたんだ」と自慢してきました。
オマケですが、「石蹴り遊び」等の代表作を持つコルタサルが通ったカフェの1席には、未だにコルタサルが座ってタバコをふかしています。
カフェ・トルトーニを気に入ってしまったため、夜のタンゴショーも観劇してしまいました。カフェの奥に別ステージがあります。
壁にはピアソラをはじめとした有名なタンゴミュージシャンの肖像画がかかっています。レトロだけれど、古くさくないというか、むしろアンティークな魅力がありますね。カフェにもタンゴにも。ショーは踊りと歌がメインで約1時間。団体さんがいなかったからか、ガラガラでした。
帰り道はオベリスコを視界に捉えながら。夜中でも大通りは賑わっていました。リアル「ブエノス・アイレス午前零時」だなあ、と思いました。
ではまた
カピージャ・デル・モンテ ② 山と湖とUFOと
前回、アルゼンチン第2の都市コルドバから北に2時間、カピージャ・デル・モンテ(capilla del monte)という町に来た話をしました。今回はその続き。
実はこの町のUFOに関する目撃情報は、ほとんどウリトルコ山という裏山が現場らしいです。夜行くのは寒いし暗いので、私は昼間に行ってみました。
こんな道をてくてく歩いて山の方へ。山道を歩き出して20分もすれば、丘の中腹に到着。
ここは空が近く感じます。日本にいる時には、あまり空を見上げることはなかったけれど、やたら空を探してしまいます。
思いがけずいい山でしたよ。
肝心のUFOは、見えたといえば見えたし、見えなかったといえば見えなかったです。UFOみたいな動きをする生き物は綺麗に空を飛んでいましたヨ。
しばらくぼーっと空を眺めていたら冷えてきたため、山を降りました。ここいらでは人っ子ひとり見当たりませんでした。
山から降りて、町へと戻る道。日当たりが良く、猫もゴロゴロ。
後日、今度はエル・カホン湖目指して出発しました。理由はよくわかりませんが、こっちはピラミッドがあったりなんなりで、パワースポットみたいな感じのようです。
今度は湖へ行く道。町の中心部から40〜50分くらい歩きましたかね。
今日は日差しが強すぎて、むしろ猫は日陰で休んでいます。
アルゼンチンだから当然馬もいます。驚。
アメリカンな車と、乾いた町並みの相性がグッド。
町を離れてからさらにしばらく歩き、エル・カホン湖に到しました。周囲はゴツゴツの岩場で、峡谷めいています。
道をさらにずんずん進んでいくと、急にピラミッドが見えてきました。なぜピラミッドかはよくわかりません。
唐突に現れた人工物でしたが、意外と周囲の風景と調和していました。空はどこまでも青し。すぐ近くに空があるような気がしました。
ピラミッド入り口
こちらはストーンヘンジのような、焚き火痕のような、謎の空間。祭礼のような事が行われるのかしら?
カピージャ・デル・モンテには5日間滞在しましたが、それでもこの町をよく理解することはできませんでした‥。けれど、妙なパワーと変な魅力に溢れた町であることは間違いありません。たぶん周囲の気候や地形も良いんでしょう。。
確かに言えることは、犬はよく吠えるし、猫は人懐こくて可愛いということ。くわえて、空を見上げれば、UFOや宇宙人がいるいないに関わらず、ポジティブな気分になってきて、胸がスーッとしてくるということです。最近、空、見上げていますか?なんつって。
ではまた
オマケ:カピージャ・デル・モンテの猫ちゃんたち
カピージャ・デル・モンテ ① 南米オカルト村散策
ここからは名残惜しくも寒かったパタゴニア地方を発ち、温暖なコルドバを目指します。コルドバから約100km離れた、カピージャ・デル・モンテという町に行くためです。
カピージャ・デル・モンテは、「クレイジージャーニー」(この旅に出ている間に放映は打ち切りに‥)にも出演していた人気写真家の佐藤健寿さんが、雑誌TRANSITで紹介していたオカルトチックな町です。その記事によれば、この村ではUFOの目撃情報が相次ぎ、村の雰囲気や住人たちはどこかポジティブで不思議な空気を醸し出している、との事。そんな怪しげな場所に近づいた経験もななかったため、これは良い機会だからみてみよう、とポジティブな雰囲気を醸し出しながら、次の目的地に決めました。また、サンティアゴ→パタゴニアときて次にブエノスアイレスだと大都会と寒冷地域の往き来で疲れが溜まりそうだったため、なんかのんびりした温暖な町でゆっくりしたいなあという動機もありました。
出発玄関であるウシュアイア空港は、街から少し外れた場所にあります。宿から徒歩45分くらいのようなので、ケチって歩くことに。別れを惜しむ気持ちも嘘ではありません。
が、しかし、迷ったのと、風が強すぎるので徒歩は断念。流しのタクシーをやっとこさ捕まえて空港に。
空港からの眺め
そして急にコルドバに到着!
ちなみにコルドバ空港から市街地に来る際はバスに乗りました。このとき、Red Busというプリペイド式のカードが必要だったため、空港内のキオスコで購入&チャージしました。このカード、コルドバでしか使えない‥。それゆえ、このときの空港→コルドバ市内への移動で1度使ったきり。もったいないですね〜。
市内中心部のサン・マルティン広場周辺をバックパック背中に散策したところ、街にはこれといった見所がなさそうだったため、1泊もせずそのままカピージャ・デル・モンテへ移動することにしました。カピージャ・デル・モンテ行きバスの発着所はサン・マルティン広場をまっすぐ南下し、東西を走るサン・フアン大通り沿いに出た場所にあります。そこはターミナルではなく、単なる停留所でした。チケットを地下で購入し、停留所で待ちんぼ。
このとき自分が乗るべきバスを見分けるのはなかなか難易度が高いため、注意が必要です。バス会社をきちんと覚え、なおかつ向け先(終点)の地名を把握しておく必要があります。私のバスはだいぶ遅れて来たため、それまで他のバスが来るたび、自分のチケットに記載された情報とバスの表示を何度も何度も見返しました。
そして、遅れはあったものの無事バスに乗れ、2時間の乗車後、やっとカピージャ・デル・モンテに到着しました!町の入り口では、早速宇宙人が迎え入れてくれました。
しかし、宿泊予約に関して、こんな田舎町でかなり困った経験をしてしまいました‥。田舎町だから、というべきか。
初日は予約なしで町の中心部の宿に泊まったのですが、価格のわりには部屋や設備がぼろぼろ。シャワーの水は詰まるし、部屋は寒い。そのため2泊目は移動することに。booking.comを利用して、中心部から徒歩30分程度離れた場所に良さげな宿を見つけました。
この宿、なかなか僻地にあったため、かなり道に迷いました。本当にこんな場所に宿泊施設なんかあるのか?っていうくらいの辺鄙な場所。しかも、この町の犬は本当に気性が荒かった。飼い犬もノラ犬も、やたら吠えたり唸ったり。これはなにか武器が必要だと感じたため、常に石ころを手に持って警戒しておりました。
地図の場所に着くと、庭で女性が水をばら撒いていました。予約した者ですが、と話しかけたところ、うちはホテルじゃないよ、とおかんむり。話が合いません。間違えたかな、と思って地図を見せたところ、地図は合っているが、目的の宿は別の場所にある事が判明。つまり、サイトに掲載されている地図の該当場所と実在地が異なっていたという事。原因はまったくわかりませんが、これはひどい。別に移転した感じでもありませんでした。
幸いなことにこのおば様が目的地の宿泊施設を知っていて、正しい場所を教えてくれました。さらに歩くこと5分ようやく発見!
しかし、さらにこの後最悪な事が。宿のインターホンを鳴らしても、誰も出てきません。鍵がかかっているため、中に入ることもかなわず。私はそのとき風邪を引いていたため、誰かが帰ってくるのを外で待っていると身体が冷えるため、また30分程歩いて中心部に戻りました。
wifiの使えるカフェに入り、サイトを通して宿に問い合わせを入れるも返事なし。待つも時間はもう夕暮れ時です。ダメだこりゃ、と思い、サイトで他に宿の候補をいくつか探しておいて、直接空きを確認しに行くことにしました。
そして、1軒目の候補先に着いたところ衝撃の事実が。なんと、宿が潰れて売りに出されていたのです!なぜ?なぜここがサイトに残っているのか?!これで私もピンときました。最初に予約した宿も、なんらかの理由から営業停止中だったのでしょう。しかし、なぜそれでも予約できてしまったのでしょうか??booking.comが悪いのか施設側が悪いのかわかりませんが、最悪なパターンだったと思います。booking.comにはメールで事情を説明し、①予約をキャンセルにして欲しい、②そのキャンセル料は払えないとの要望を伝えました。そしてなぜこんなことが起きたのか教えてほしい、という質問も合わせて送信。残念な事に、後日キャンセル完了を伝える事務的な返信のみがありました。サイトと登録施設側のルール徹底と運用改善がされない限り、こういう最悪な事態はこれからもあり得そう‥。
それはそうと、代わりに泊まったホテルは少し高いものの、中心部へのアクセスが良くなり、部屋もきれいで、むしろ結果オーライ、怪我の功名となりました。
洗面所と食堂。部屋はすぐ散らかしてしまうため、公開NG
この町の特色は、なんといってもUFOとスピリチュアルな雰囲気!市中を歩いているだけでも、それらしいモチーフがさかんに現れます。
なぜか男前
宇宙人フェスのイベントTシャツ。もちろん、買いました
公園にUFO
UFOを監視しようぜ、みたいなツアー
これは謎のサーカス。別にスピリチュアルではない
とにかくたくさんです。なんでしょう、村おこし‥?
これらの一連の写真を見て、むしろここに住みたいと思う方々もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?日本というなにかと狭量で息苦しい国で普段暮らしていると、この未知なるエネルギーと寛容なる精神はあまりに刺激が強すぎてしまい、爆烈に惹かれていく気持ちを隠しきれなくなるものです。
無論、私も滞在をどんどん伸ばし、計5日間、手の爪先から足の爪先までこの未知なるエネルギーにどっぷり浸かりました。ちなみに他にはほとんど観光客を見かけませんでした。そりゃそうだ。
前置きが長くなりました。次回はカピージャ・デル・モンテでUFOが最も頻繁に発生するウリトルコ山と、注目のパワースポットであるエルカホン湖周辺を探索した件についてリポートします。結果はいかに?!
オマケ: 白カビのサラミ、とても美味しかったです。通貨レートの関係もありますが、1本150円くらい。日本の輸入食品屋で購うと、価格5倍以上ではないでしょうか。アルゼンチンはとにかく肉な国ですからね。IPAは苦くて飲み応えがあって好き。日本と違い、基本は500mlで、それ以上小さい缶はあまり売っていませんでした。
ではまた